【考察】フロリデーションの父,ハロルド・ホッジとはどんな人物だったのか ~その人物像の光と影~

投稿者: | 2022年1月5日
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 フッ化物を危険視する意見は古くから見られ,議論は完全には収束していません.今回は「1950年代にフッ素の安全性を訴えたハロルド・ホッジは原爆を開発した張本人だ」とするフッ化物反対派の意見を取り上げ,ハロルド・ホッジとはどのような人物だったのか,その光と影について追ってみようと思います.

 

1.フッ化物との出会い

 ハロルド・ホッジとはどんな人物だったのでしょうか?資料1,2)から詳しく彼の功績と人物像について迫ります.ハロルド・ホッジ(Harold Carpenter Hodge)は1904年,米国イリノイ州シカゴで生まれます.1925年イリノイ・ウェスリアン大学で理学士号を,1927年にアイオワ州立大学で修士号を,1930年には同大学で博士号を取得しました.博士号取得後はカリフォルニア州ストックトンのパシフィック大学,カンザス州のオトワ大学で化学の教員として勤務しました.

 1931年,コダックの創業者であるジョージ・イーストマンの寄付により歯学系研究が盛んにおこなわれていたニューヨーク州ロチェスター大学医学・歯学部にロックフェラー研究員として1936年まで6年間在籍し,生化学的な観点からフッ化物などう蝕予防に関する研究を実施します.以降,定年を迎えるまで研究生活の大部分をこのロチェスター大学で過ごすことになります.当時は,歯のフッ素症の原因として飲料水中の過剰なフッ化物が原因であることが判明した時期でした.国民のフッ化物・フッ素への抵抗感が非常に根強い頃であり,米国政府や医師会は水道水からフッ化物を除去することに腐心していました.

 

2.マンハッタン計画

 ホッジは第二次世界大戦中の1943年,科学者・技術者を総動員し核開発を実施した所謂「マンハッタン計画」に毒物のスペシャリストとして招集され,United States Atomic Energy Commission’s (AEC/米国原子力委員会)の薬理学・毒物学分野のチーフ(責任者)に選任されます.

 1940年代,AECは放射線による人体実験を数多く実施しており,ホッジも1945年4月10日から1947年7月18日まで,対象者18名に対し人体がどのように放射性物質を代謝するかを評価するためにプルトニウム(Pu-238,Pu-239)を注射する人体実験(AEC no. UR-38, 1948 Quarterly Technical Report)を主導したという記録が残っています3).人体実験を受けた人は,何らかの病気で入院していた患者でした.彼らは人体実験であることを知らずに実験に参加させられており,それらの事実は1993年まで米国政府により隠蔽されていました.現在では考えられない非人道的な人体実験ですが,当時は世界的にこのような人体実験が数多く行われていました.

 

3.輝かしい功績

 ホッジはマンハッタン計画の任を解かれた1958年,ロチェスター大学に薬理学講座が新設されるとその初代教授になりました.1970年に定年退職するまでホッジは世界中から賞を受賞し,IADR会長(1947~1948)や毒性学会(1960)の初代会長などに選出され,イリノイ・ウェスリアン大学やウェスタン・リザーブ大学から名誉博士号を授与されるなど同僚の研究者たちから高い評価を受けていました.生涯で300近くの論文を残し5冊の本を出版しました(Pubmed).実際,当時のフッ化物に関する研究にはホッジの名前が数多く出てきます.ホッジの歯科界・毒物学への貢献は計り知れません.

 

4.晩年

 ロチェスター大学を定年退職したホッジは,カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)に薬理学講座の名誉教授として異動します.精力的に研究や教育活動に従事するとともに,スカッシュを得意とし,若々しく常に紳士であったと伝えられています.1983年,UCSFを退職し,息子と孫の近くに住むためにボストンに移りましたが,名誉職を務めていたフォーサイス研究所での研究指導は継続していました.晩年は,妻と一緒にメイン州ポートランドの老人ホームに住み,1990年10月8日,家族に見守られながら86歳で亡くなりました.

 

5.反フッ素派の主張と印象操作

 ホッジは,反フッ素派の主張するようにマンハッタン計画で原子力爆弾を直接的に開発していたのではなく,毒物のスペシャリストとして,人間が放射性物質による被害を受けた後,どう代謝するかについての研究を行っていました.中枢神経に対するフッ素の毒性の影響に関する研究をやっていたのではないか,認識していたのではないかという意見は,その研究結果が存在せず憶測の域を出ません.

 マンハッタン計画とフッ素,ホッジの関係性はどうして論じられることになったのでしょうか.そのカギはある1冊の本Christopher Bryson(クリストファー・ブライソン)著 「The Fluoride Deception(フッ素の欺瞞)」にあります.BBCのジャーナリストで反フッ素論者だったブライソンが2004年に発表した本書によって,ハロルド・ホッジのマンハッタン計画への関与とフロリデーションが結びつけられてしまったのです.ブライソンは米国でのフロリデーション実施推進に重要な役割を果たした人物としてハロルド・ホッジの名を挙げ糾弾しました.今日あるハロルド・ホッジへの批判は,ハロルド・ホッジを「忌々しいフッ素・フロリデーションの推進者でありマンハッタン計画に加担した危険な人物である」などとしたいBBC記者個人の一面的な論評を真に受けてしまっているように感じます.

 確かにこのマンハッタン計画により,1945年7月16日ニューメキシコ州での人類最初の核実験であるトリニティ実験が実行され,1945年8月6日に広島,同年8月9日,長崎に原子爆弾が投下されました.もちろん我が国のみならず世界的にみても原子爆弾投下は容認できるものではありません.しかし,海外ではハロルド・ホッジは研究者としてその功績が称えられ,世界中から多くの賞を授与されています.日本人にありがちな一事が万事というような決めつけによって学者ハロルド・ホッジの功績が正当に評価されないことがあってはならないと思うのです.

 ブライソンの主張は,日本では反フッ素派の村上徹によって訳され伝わっており客観性・信憑性ともに欠けるものと判断せざるをえません.ホッジは毒物の研究者としてAECに招集されていただけにすぎず,その確かな証拠がない以上フッ化物の危険性とその責任をホッジに向けることは適切ではないように感じます.ダイナマイトを開発したアルフレッド・ノーベルや,マンハッタン計画のきっかけを作ったアルバート・アインシュタインが後世で正しく評価されているがごとく,歯科界・毒物界の発展に他大な貢献をしたハロルド・ホッジについても正しく評価されるべきと考えています.

 

7.まとめ

 マンハッタン計画で人体実験に加担したハロルド・ホッジですが,良き研究者として,そして良き父として紳士的に生きた記録が残っています.人類に貢献した偉大な研究,功績は誰によってもたらされたものであろうと,その価値があるはずです.物事の一面だけを見て,全ての評価を決めつけてしまうような愚かな態度によって,研究者の功績が正当に評価されないことがあってはならないと考えています.

参考文献

1) Morrow PE, Witschi H, Vore M, Hakkinen PE, MacGregor J, MacGregor J, Anders MW, Willhite C.
Profiles in toxicology. Harold Carpenter Hodge (1904-1990).
Toxicol Sci. 2000 Feb;53(2):157-8.

2) Ernest Newbrun Frederich H. Meyers Howard M. Myers
The Online Archive of California is an initiative of the California Digital Library.
Harold C. Hodge, Pharmacology and Experimental Therapeutics; Oral Biology: San Francisco
http://texts.cdlib.org/view?docId=hb5f59n9gs&doc.view=frames&chunk.id=div00015&toc.depth=1&toc.id=
(Retrieved on January 3, 2022)

3) https://en.wikipedia.org/wiki/Human_radiation_experiments
(Retrieved on January 3, 2022)

 

おすすめ

 

マンハッタン計画によって多くの研究結果がもたらされています.核物理学はその一つです.

 

眞木先生はじめ,口腔衛生に携わる多くの先生による解説書です.エビデンスレベルを大切にした書です.

 

反フッ素派村上徹氏の著書です.取り上げられる内容は古く,エビデンスレベルが低いものが多いです.

 

PHOTO: Louisiana Museum of Modern Art