【考察】Vipeholm study ヴィぺホルム(ビぺホルム)スタディとは何だったのか ~う蝕研究の原典その光と影~

投稿者: | 2021年1月27日
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 今回は,う蝕予防学の重要な研究であるVipeholm study(以下、ヴィぺホルムスタディ)を取り上げ、文献的考察をしてみようと思います.時代的・社会的にどのような背景があったのか,得られた成果や,その問題点などを振り返ります.ヴィぺホルムスタディは第二次世界大戦直後の80年ほど前の研究で,その後考察は続けられたものの文献によって細かい点で異なる記載があったりします。修正点などお知らせいただければ幸いです.

本記事は2023年9月にVipeholmを訪問しましたので,リライトしています.

 

概要

 ヴィぺホルムスタディは,「う蝕と糖」の関係性について調査するために1945年~1955年にスウェーデン南部,ルンド郊外のヴィぺホルムで行われた研究1)2)です。

 スウェーデンでは,1938年に国民歯科サービスが開始されPublic Dental Service(Folktandvarden)が設置されました3).しかし,当時のスウェーデンでは歯の健康は現在ほど重要視されてはおらず,子供・大人を問わずう蝕が蔓延していました.事実,1930年代のスウェーデンでは,3歳の子供の83%の歯がう蝕に罹患していました4).ただ,う蝕が蔓延している状態は当時,世界的にもそう珍しいことではありませんでした.当時,う蝕に罹患してしまった歯は治療されず多くの場合,抜歯されていました.う蝕の原因として糖の多い食事がう蝕の原因ではないか?と疑われてはいましたが,この事実を証明する科学的な証拠はなく,20世紀初頭の歯科医の間ではう蝕の原因について意見が分かれている状態でした.

 このような状態を把握し,「う蝕と糖」の関係性を明らかにするため,1945年にスウェーデンの医学委員会は,当時スウェーデン唯一の歯学教育機関だったストックホルム デンタルインスティテュートに調査を委託しました.スウェーデン最大の知的障がい者収容施設だったヴィペホルム(知的障害者)病院の入院患者(436名)が研究対象として選定され,研究はBengt E. Gustafssonが主導しました.

 

方法・結果

 1945年から1946年まで準備期間が設定され,対象となる患者が選定されました.まず初めに1946年から1947年の間,ビタミンの摂取量でう蝕歯数に変化が生じるかの調査が行われました.これらの研究対象となる患者たちにはスウェーデン平均的な砂糖消費量の半分が与えられ,ビタミンA・C・Dとフッ化物の錠剤などが与えられました.また,実験中に間食を摂ることは許されませんでした.この実験期間の終了時には78%の対象者に新たなう蝕は見られませんでした.つまり,ビタミンとう蝕に関係性はないとされたわけです.

 1946年,対象患者は①24個のトフィー摂取群,②8個のトフィー摂取群,③チョコレート摂取群,④キャラメル摂取群,⑤対照(マーガリン)群に分けられました.トフィーは原料に多くの砂糖を含み,特別に粘着性のあるように調整されていました.これらの他に砂糖入りのパンや砂糖入りの飲料などが研究材料として使用されました.

 1947年,①の24個のトフィー摂取群に対し間食時にもトフィーを摂取するよう設定されました.また,1948年からは④のキャラメル群と②の8個のトフィー摂取群に対しても間食時摂取を開始しました.1949年,③のチョコレート摂取群に対しても間食時摂取を開始し,①の24個のトフィー摂取群の間食時摂取を中止しました.1950年には④のキャラメル摂取群で間食時摂取を中止しました.結果,いずれも通常の摂取に加え間食時に摂取することを始めると急激にう蝕歯数は増加することが判明しました.また,間食時の摂取を中止すると増加は緩やかになることが判明したのです.

 

問題点

(1)精神障がい者を対象とした倫理的問題4,5)

 ヴィペホルムスタディは実験の倫理に関する宣言である「ヘルシンキ宣言」が1964年に発表される10年以上前の研究であり,実験当時の歯科医師はこの研究自体に倫理的な問題があるとは考えていませんでした.また,研究開始前に実験の倫理的背景についての公的な議論はありませんでした.ヴィペホルムスタディの倫理的側面がスウェーデン議会とその後のニュースメディアに取り上げられたのは1953年のことでしたが,議論が活発化したのは1990年代に入ってからでした.

 今日では,科学的研究のために対象者をう蝕にさせてしまうような実験は認められません.今ではとても考えにくいことですが当時は障がいを持つ人々が人間以下の対象であるとみなされていました.また,国民は障がい者の世話をしているので,障がい者は地域社会に復帰する義務があり,その借りを返すためにこの種の実験に参加しなくてはならないと考えられていたようです.

(2)製糖・菓子業界からの資金・資材提供

 この実験は,糖がう蝕の形成に影響を与えるかどうかを判断するために,政府と製糖・菓子業界がスポンサーとなって行われました.菓子業界は莫大な資金と大量のチョコレートやキャラメルを提供しました.実験では砂糖の摂取量とう蝕との間に明確な関連性が示されたため,業界はその結果に満足せず,研究者たちはその発表を延期しました.この研究が1953年にようやく公表された際,科学者は業界に買収され長い間公表できなかったのではないかと批判的な議論が巻き起こりました.

 

Vipeholmを訪問して

 2023年9月,Vipeholmを訪問し,現在は高校として使用されている校舎の中を案内してもらうことができました.建築などの職業訓練校でもあり,障がいを持つ若者が社会的自立できるような教育を受けられるクラスもある総合高校に生まれ変わっていました.緑が多く森の中の自然豊かな高校で,当時の病棟は校舎にリノベーションされて現在も使用されていますが,一部は取り壊され新しい校舎になっていました.

 古い校舎はヴィペホルム病院として1935年から1982まで使用されていました.その後1993年まで老人ホームとして使用され,1988年から学校,2006年からは現在の高校として使用されています.障がい者クラスの教諭と新校舎で待ち合わせ,新しい校舎から旧病棟の古い校舎を案内してもらいました.スウェーデンの障がい者教育の現場を見学することが出来ました.ちょうど障がい者クラスの調理実習の現場も見学できたのですが,優しそうな教諭に笑顔で見守られ,一人ひとりが尊重されているように感じました.

 もはや校舎以外にヴィペホルムスタディーの面影は残っていませんでしたが,病棟と病棟が地下で繋がっていたらしく,当時使われていたであろう地下通路も案内してもらうことができました(かつて学生さんはそこで肝試しをやったそうな).

 近くのルンド大学内に小さな医学博物館があります.そこでヴィペホルムスタディについても紹介されています.下の画像は博物館内の展示(展示は全てスウェーデン語)で,6:30に起床,7:30-8:00に朝食,9:30に1日の1/4の量のお菓子を配布・・・と書かれた箱が展示されています(箱の中はトフィー・・・でしょうか).

 

 

結論とまとめ

・食事時のみ砂糖菓子を摂取させた場合、う蝕歯の発生率は低かった。
・食事時及び間食時に砂糖菓子を摂取させた場合、う蝕歯の発生率は高くなった。
・歯に付着しやすく口腔内に停滞しやすいトフィーを摂取させた場合、う蝕歯の発生率は高くなった。

 ヴィペホルムスタディの結果を受け,スウェーデンでは砂糖を含む菓子は週に1回のみ食べた方が子供の歯には良いと勧告され推奨されました4).この習慣はスウェーデン社会に広く浸透し,今日でも土曜日にだけ子供にお菓子を与えようというlördagsgodis(ローダスグーディス)という習慣になっています.ヴィペホルムスタディは時を超え,スウェーデンは世界随一の歯科医療先進国となりました.今一度,ヴィペホルムスタディの意義について考えることが必要だと思いました.

 

参考

1) Gustafsson, BE; Quensel, CE; Lanke, LS; Lundqvist, C; Grahnen, H; Bonow, BE; Krasse, B . “The Vipeholm dental caries study; the effect of different levels of carbohydrate intake on caries activity in 436 individuals observed for five years”. Acta Odontologica Scandinavica. 11 (3–4): 232–64. 1954

2) Krasse, B. “The Vipeholm Dental Caries Study: Recollections and Reflections 50 Years Later”. Journal of Dental Research. 80 (9): 1785–8. 2001

3) 眞木 吉信, Anna-Lisa BJÖRN, Birger RICKARDSSON スウェーデンの歯科保健医療制度 口腔衛生学会雑誌38(3) 276-283, 1988

4) The Swedish cavity experiments: How dentists rotted the teeth of the mentally handicapped to study candy’s effect By Sandee LaMotte, CNN October 30, 2019

 https://edition.cnn.com/2019/10/30/health/swedish-cavity-experiment-wellness/index.html

5) Petersson B. The mentally retarded as research subjects. A research ethics study of the Vipeholm investigations of 1945-1955. In: Studies in Research Ethics. No. 3. Hallberg M, editor. Göteborg: Centre for Research Ethics, pp. 1-32.1993

 

 

img : vipeholm (vipan High School)

 

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